ためにならない!しがないジャニオタ就活エントリ~オタクによるオタクのための(?)参考にならない就活記録~

就活ブログか~~、書いてみようかな~~って言ったらお友達に読んでみたい!と言ってもらえたので筆をしたためますが、マジでためになりません。理由:就活したくなかったから

さておき、わたくしの就活についてブログを書いてみます。結構前だし内容的にも参考になりません。すみません。そのうち下書きに戻すかもしれないけど、とりあえず!

 

基本情報

・18卒組(多分…よくわかってない)

・地方国公立大、教育学部出身、教員免許持ち

・就活する気なかった

 

↑いろんなオタクの就活ブログ見てたらここだけ引用みたいにしてたから真似した。上手くできたかな…。(できたっぽい)

 

①大学&環境について

周りに一般就職する人が一ミリもいない環境でした。大学の特性ですね。わたしは浪人していて、高校の同級生たちは地元においてはハイパーエリートだったので、自分が大学2年で友達が大学3年の時にはもうめちゃくちゃ就活?インターン?していて、就活するならこんな感じか~大変だ~と思いつつ、2年の最後、3年になる前の冬にバイト先のAL限定インターンに参加しました。暇だったのと旅費が出たのと、本社に行ってみたかった(不純)あとは、仲良しだったゼミの教授から「新聞記者とかどう?向いてるんじゃない」という謎アドバイスに則って、夏の実習中の土日にわざわざ大阪まで言ってセミナー受けたりした。これはA新聞。M新聞は地元で行って、S新聞は、どうだったんだろう、記憶がない。Yは違うなと思って(?)行く前からやめた。直感で生きてる。活字読むの好きだから、編集という仕事は漠然と「いいかもな」とは思っていたのもあって仲良しの教授の「向いてそう」という一言でなんとなく行った。「学び続けられる仕事がいいんじゃないの、お前さんには」みたいな感じだったと思う。お前さん、またはあだ名で呼ばれていました。仲良し。(そのくせ卒論ちゃんと出さずに卒業したから未だに追われてる)

 

②就活する気なかった

とはいえ留学を考えていて、色々な関係から留学するなら4年次で行って5年生やって卒業かな~と思って色々準備を進めていました。なんだけど3年の12月、それもクリスマスすぎためちゃ年末に「あんた留学無理だわ~」という連絡が教務課から来て、急遽路線変更。路線変更せざるを得なくなったけど、何もしたくない気持ちが先行して、就活したくないな~と思った。

 

③カオスな就活

前から言われていた新聞社にまとを絞りつつ、受かるわけないな~ラッキーがあれば受かるかも?などと軽い気持ちで2社ES送って、テストも面接も受けたけど落ちた。そりゃそうだ。書いてて思うよ、2社って!多分、SとMに出したのかな…。AはES出す前のセミナー?かなんかに行ったときにもう出来レース感がすごくて、話をしてくれた人は面白くて一緒に働きたいと思ったけど雰囲気が無理だった。Yはその年、内々定出してた人をめちゃめちゃ落としてみん就でさんざん書かれてたのが懐かしい。新聞社はESがとことん手書きだからそれは凄く大変だった。ゆうゆう窓口なら夜中でもその日の消印で送ってくれるから、書き直して書き直して夜中に一人で車乗って街中の窓口まで持って行ったこともあった。途中で自転車と衝突しそうになりながら。本当に危なかった。

同時進行で公務員試験も受けてた。これも教授のアドバイス。1学年上の先輩が入省したのもあって、いいんちゃう?みたいな雰囲気になったから。まあ落ちました。甘いよね~~~!!!国総はちゃんとやらなきゃ無理だね。やっても難しいです。当たり前~!そして教育学部は弱い。経済学部とか法学部の人の方が受験科目を大学でかじってる分受けやすいと思う。受験の時は教育学と心理学選択した、たしか。周りの友達の教採の勉強と一緒に勉強できたのはすごく楽しかったからいい思い出…内容は何も覚えてないけど…。モンテッソーリ教育!とかゼミ室で叫んでた。国般は何やる仕事かわからんしな~練習だ~と思って受けた。同じように血迷ってた友達を誘って一緒に受けたら、その子はなんやかんやで国般で採用もらって働いていて、「あの時誘ってくれたから今があるわ~」ってめちゃ言われる。面白い。

で、公務員試験受けるなら本命はここ!って決めてた自治体があって。国総、国般って試験の難易度が難しい順に受けてたのと、その自治体の出題形式とか内容があまり専門科目がなかったのもあって、試験のときめちゃくちゃ解ける!!!って思って受けた。実際たぶん解けてたと思う。あと小論文か時事問題に関する作文みたいなものがあって、それも普通にかけた気がする。高校生の時から小論文模試得意だったのを人生で初めて生かせた瞬間。

この自治体は最終面接まで普通に行ったんだけど、最後の面接のときの試験官との相性がまあ絶妙で、これは無理かも…と思ったら落ちてた。点数を後から郵送してくれるんだけど、合格点に数点足りなかった。残念!

 

④就活やめる&担降り

最終までいった自治体はほんとに本命!って思って就活してただけに、落ちた時かなりショックだった。(親に言わせれば「そこまで真面目にやってたとは思えない」)(確かに二次面接のあとそのままEXに行ったりしてた)(さすがにスーツは着替えたよ)

ショックだったのもあったけど、8月末から再び実習があって就活は一時中断。実習は2週間の短い期間だったけど楽しかったな~何やったか覚えてないけど。担当教諭もいい人で「好きにやっていいよ!」って全部一任してくれて、本当にありがたかった。

そんなこんなで実習を終えたけど、就職したくないから院行こうかな、何もしたくないかも、とか言って毎日を過ごしてたら同じく就職が決まらない東京に進学してた友達が「遊びにおいでよ」って言ってくれて、東京に遊びに行った。そして暇だったから少年たちを見に行ったら、担降りすることになったのであった…。

 

⑤就活再開

そんなことを言っても就活をしないといけない、というか教授が「絶対に院に残るな、社会にさっさと出ろ」と言って毎日求人票を手渡してくるようになった。小~高までの教員免許は取得予定だったから、私立の求人とかなんかよくわからんものを渡されて、気が向いたときは履歴書送ったりした。そんなこんなしてたら秋採用が始まって、でも最早何したいんだろ?みたいな気持ちになってた。就活で東京に行って、親には内緒でそのまま大阪行って、松竹座で少年たちに入ったりもしてた。ザ・アクティブ。この年は松竹座でもスノストの少年たちやってたからね。衝動が抑えきれなかった。

履歴書通って受けに入った学校もあったけど、環境にドン引きしてぶっちしたりもした。本当にすみません。やりたいこともわからなくて、最後は院に行くかバイト先で就職するか、臨採で教員やるか、最悪のパターンを考えながら生きてた。

 

⑥運命の求人

やりたいことって何だろう、と思いながら教授から求人票を受け取り、終わらない卒論に追われまくってた。ゼミ室のでかいモニターのパソコンで何となく求人を探したら、自分が好きなことかつ記者職の募集が数日前に出ているのを発見。ビビっと来たんだけど、全然知らない会社で求人はハローワークにしか載ってなくて、これはどうしたら!?と親に相談。マイナビにもリクナビにも載ってないからハローワークに行くしかない。怖そう。と思いつつ、若者支援のハローワークにすぐ行って、求人票を出してもらう。初めて就職相談をする。「ほかの会社はいいので、この会社を受けたいです」って伝えて、「とりあえず受けてみよう!履歴書とか志望動機書添削するから持ってきて!」と言われ次の予約日に持っていく。担当してくれた人が優しいのもあって、するする話が進んだ。

 

⑦12月までよく引っ張った、おめでとう

ひとまず書類は通ったから、一次面接と試験を受けに東京に行った。多分11月頭くらい。SNSとかの過去ログを漁ったけどなんにも出てこなかった!理由は一つ!決まらなさ過ぎてもう誰も触れられないものになっていたからです!

一次終わってコーヒー屋さんに向かってたら電話が来て、「二次も受けてほしいけどいつがいい?」と聞かれる。いつでもいいです…ってなって次の週とかに受けたのかな?二次終わったあともすぐ連絡きた…のかな?一次のあとはすぐ来なかったけど二次の後はすぐ来たんだったか…忘れてしまったけどとんとん拍子に話が進んだ。

三次が最終面接で、会議室入ったらめちゃくちゃおじさんいる!!!今までよりいっぱい!!!ってなったんだけど、それまでも面接受けてたし、緊張はしたけど不思議と落ち着いていて。テンプレートの志望動機だけは何回も確認したけど、あとは聞かれたことをその場でストレートに答えた。「○○高校出身なんだ?あ、○○○○さん(女優)が卒業生なんだ」などという謎の質問もされました。不思議な会社。

三次を受けたあと、ダメでも連絡するって言われてたのかなんだったのかわからんが、毎日複雑な気持ちで生きてた。三次は11月27日とかだったのかな。それで、そろそろやばいかもしれない…と思って東京都の臨時職員の採用試験もエントリーしてた。就活のために東京に行くのも大変で、朝の飛行機で行って夜帰ってくることも多くて、親とよくわからない諍いになることも多々。我が家は良い意味で全て任せてくれるので、就職について責められたり、もめたりすることはなかった。お母さんには「最終的にどうにもならなかったらどうする予定?」って聞かれて「臨採」って毎回答えてた気がする。

12月9日。結果待ちでなかなか連絡がこなくて、もう受けるしかないって東京都の職員試験に向かおうと空港に行って、保安検査場通って搭乗案内待ちしてたら、電話がかかってきて「採用です。内定辞退されたら困るんだけど大丈夫?」っていう連絡が。「もちろんです!」って答えて、すぐさま家族に連絡して、飛行機乗らないで払い戻しして家に帰った。

 

これにて就活完走!

 

 

…はい。そんな感じで、本当にためにならないし、全然就活してないし、奇跡か?みたいな流れで就職までこぎつけました。つい最近親と話す機会があったんだけど「曲がりなりにもマスコミにこんなテキトーに入れる人いないよ」って言われた。マスじゃないけどね。ラッキーなタイミングで求人に出会ったのは自覚があって、求人を見た瞬間に「この仕事だ!この仕事に就きたいし、就く!」って思ったのは事実。それまでやってきたことも生かせるかもなという気持ちもあったかな。。。

就職を始めたときは営業職に就きたいと思っていたけど、教授に「今まで勉強してきた専門性が生かせる可能性がある職種にしなさい」と言われて即記者に方向転換もした。

就活しながらラッキー!東京にきちゃった!って友達に会ったり、公演に入ったりして、気分転換出来たのはすごく良かったと思う。焦る気持ちももちろんあったけど、人生最後はどうにかなるだろ~!という謎なポジティブも発揮してた。

 

就活に当たっては、

①実家、地元からは出ること

②やりたいと思った仕事に就く努力をすること

を大事にした。

①は親に「絶対家から出なさい」って言われてたのもあるけど、浪人して実家に残って、このタイミングを逃したら家から出るチャンスを逃す気がする…と思って出来る限り地元じゃないところを受けた。残ってたらパラサイトシングル確定!って感じだったと思う。結果的に東京勤務になったけど、実際九州でも北陸でもどこでも良かった。一人暮らしが出来たことで、親へのありがたみを感じたり家族の仲の良さを実感したりしてるから正解だったと思う。

②は自分が頑固だっていうのもあるんだけど、やりたくない仕事って山程あるからやりたくない仕事からマシなものを選ぶのは最後でいいと思った。テキトーな会社を取捨選択するのは難しいし、志望動機とかも思い浮かばないし。だからまずはやりたい仕事を探して、そこに受かるように頑張ろう!って思ってやってた。

高校生の時にAO入試受けようと思って、受けるには結構な量の小論文を書かなくちゃいけなかったのに全く書けなくて諦めたことがあった。それを凄く尊敬してた先生に話したら「それはあなたが本当にやりたいと思ってないからじゃない?本当に行きたかったら量が多くてもなんでも書けるし出来るよ。その気持ちがないだけ」って言われたことがあって。その時は凄くショックを受けたけど、言葉の通りだと今は思う。本当にやりたいことなら、そのために動くことは絶対出来る。

 

純粋にやりたい!って仕事に就く努力をして、探して、受けて、結果的に就けたからよかった。つけてなかったらやりたくなくてもマシな仕事もっと受けとけばよかった〜って思ってたのかもしれない。わかりません。

 

個人的に大変だったのは自己分析。自分のことを客観的に見るってなかなか難しいというか、見てるつもりでも周りからは全然違う思われ方をしてることもある。だから、友達とか仲良しの教授とか、バイト先の仲良しの社員さんとか、いろんな人に聞いて回った。一番手っ取り早い。多分全部教授の言ったことから派生させて書いてた気がする。この間不意に思い出したんだけど、留学か就活か忘れてしまったけどダメになった時に「お前を取らないなんて、何にもわかってないところだな」みたいな(ニュアンス)ことを言ってくれた。ただの慰めなんだけど、なんか嬉しかった。めちゃくちゃ褒めてくれてたのに卒論出さなくて本当ごめんなさい。もうUSBがありません。

 

今はコロナ禍でこんなぬるい就活なんか無理ですから!って感じかもしれないし、やりたいって思った仕事でもふざけんな!ってなることもあるから一概には言えませんが、読み物として楽しんでいただき、この人テキトーに生きてるわぁ〜〜って思っていただけましたら幸いです。

本当に楽しい仕事で、業界の会いたい人には会えるし仕事でお世話になる人たちも凄く親切で優しさに触れて仕事をしてきたんだけど、それでも転職することにしたから人生いろいろあるよね。転職ブログもそのうち書こうかな。こっちはもっとタメにならないけど。いつ出そうか迷ってたから、最終出勤を終えたので、出しました。

人生一回しかないし、チャレンジしてみるのも大事だよね!明日からまた頑張りま〜す!

 

以上!